井田 美知

「記念小学校竣工式」 

 此の度、大阪漢方医学振興財団の一つの行事として、亡き夫「井田正」を記念する小学校を、雲南省金平県に寄贈いたし その竣工式に 大西隆会長 赤丸敏行先生と共に出席いたしました。
 小学校の寄贈は、大西隆会長、生駒邦夫常務理事の外、多くの方々のご協力を戴き、中国領事館を通じて今回の運びとなりましたが、これは皆様方の友好の心が集まって実現したものと思っております。
 今年(一九九九年)七月四日、関西国際空港から直行便で四時間四十分、雲南省省都昆明に到着。着いたばかりの空港で私達は、昆明で行われる竣工式出席の為に、現地の金平県から来られた教育関係の方々の出迎えを受けました。その中に現地小学校の女生徒三人が、花束を持って待っていて呉れました。少数民族瑶族の衣裳を着た彼女達から、花束を受けながら、遠い所からやって来たこの可愛いい少女達の思いがけない出迎えに感激しました。
 翌五日、竣工式は雲南省外事部の広場で行われ、会場には「日本大阪漢方医学振興財団援建 金平県井田正紀念小学校竣工儀式」と、赤地に白く大書された横幕が貼られ式はその前で始まりました。折から昆明は花博開催中で街も会場も花いっぱいで竣工式は簡潔でした。
 雲南省外事部周漢波処長の司会で出席者紹介に続き、金平県副知事李開林先生、金河小学校教諭陳自平先生の感謝をこめた挨拶の後。生徒代表周雲さんが、「大西小父さん」「井田小母さん」と澄んだ声でやや緊張ぎみに謝々と言った言葉が耳に残りました。
 今回北京から竣工式に出席された中華人民共和国外交部扶貧辨公室主任、王永占先生が、最後に挨拶に立たれ、小学校が建設されるまでの事情を説明され 謝意と共に大西会長に証書とメダル、小学校建設中の写真等が手渡されました。大西会長は、教育が未来を築く最良最高のものだと挨拶され、会場は拍手に包まれました。地元雲南省の程東軍外事部副主任の話を最後に式は終了し、私達はすぐに雲南省副知事梁公卿先生を表敬し、昆明での公式の日程は無事終わりました。



この後赤丸先生と私は、昆明に残られる大西会長とは別行動となり、現地の小学校を訪ねる為に、その日の午後金平県へ向かって出発しました。 昆明に残られた大西会長は お一人で沢山の方々のお相手をされ日程は大変だった様です。北京の王永占先生と通訳の紅jさん、竣工式の司会をされた周漢波女史の三人は、現地まで私達と同行して下さり、この後帰国するまで全日程をお世話になりました。又、金平へ帰る人達も一緒の旅になりました。

                                    

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小学校のある金平県まで昆明から東南へ五百粁の道程、ベトナム国境が近い所です。私たちは三泊の予定で出発しました。途中一泊する个旧市まで、道は平坦で沿道ものどかな農村の風景でした。七時頃个旧に到着。ここは錫細工が特産で、すぐ近くに湖がある金湖賓館に一泊、歓迎を受けた一夜でした。
 翌六日个旧を九時出発。金平県までの残りの道も舗装され、案ずるよりはと喜んだのはほんのいっ時、やがて少しずつ山岳地帯へ入り、山を登っては麓へ下りてしばらくの間、紅河沿いに走り、又山を越えるというこの山越えのぐるぐる道は大変でした。山裾を縫う紅河は濁流渦巻く泥川で、このままヴェトナムへ流れ込みトンキン湾に注ぐ大河です。走っていると時々スコールがやって来て、山ごと雲の中に入ってしまうという有様 運転手の朱さんが「空を見て」と天を指しますが 山の樹木が重なって、木と共に空も揺れて始末に悪いことでした。
 しかしここまで来ると、幾重にも山が重なり、遠近の山の尾根や中腹に、少数民族の住居が点々と見え、山は殆ど頂上まで耕され、その大半が玉蜀黍の段々畑、又、山裾まで広がる棚田の稲は風に吹かれ 山を覆う一面の緑は見事という外はなく壮観で美しいものでした。車窓から山の上の唐黍畑に働く人が見え、あんな所まで行くだけで大変だと思うばかり。それにしても辺境の砂漠も又この山の奥も、改めて中国の広さを認識しました。
 午後二時頃煙草工場のある金平県の金烟賓館に到着。金平は山に囲まれた盆地で坂の町。狭い所になんでもありという町でした。少数民族の女性達がそれぞれの民族衣裳を着て、大きな荷を背に負い肩に担ぎ、頭にも物をのせて坂を下り、市場へやって来る。又薬草や山の中に自生する天然の果物「塔溜果」等が露店に溢れ好奇心をそそられる町でした。紙の様に平坦に積み上げて売る固い豆腐、露店で刺繍に精出す年輩の瑶族の人の鼻眼鏡、その笑顔、逞しく生きる人々に興味盡きない所でした。そして、ここから見上げる山の向こうが小学校のある金河村、そこまでの道が大変なのだそうです。

     

 「小学校と子供達」 

 只只天気だけが心配でした。七日の朝は霧雨が煙っていましたが、皆さんの相談の結果、金河(小学校)まで行く事が決まり九時に出発しました。道は最初から大変でした。雨期でぬたの様な道、車は屋根まで泥を跳ね上げ、前後の車を互いに気遣いながら十五Kmばかりの山道を二時間以上かかって到着。
 車が止まると霧の中から家や木立ちが現れ、そこが小学校でした。校門まで子供達が歓迎々々と拍手で迎えてくれる中、ほんとに緊張しました。夏休み返上の熱い出迎えにどきどきしながら、滑らぬ様に歩いて校門を入ると、突然雲の中から三階建ての真白い小学校が現れました。それが紀念小学校でした。まるで希望の翼を拡げた様に、高く優雅な姿で目の前に建っていました。純白で美しい小学校が、空に向かって堂々と建っていました。
 一階の正面に功徳碑と学校沿革の碑が揚げられ、どの教室も新しい木の机が並び、木の香りがいっぱい、三階から見ると家も森も木立ちも霧の流れの中でした。
 初対面の校長先生と先生方、昆明から一緒だった地元の人達と共に、教師の宿舎である三階で挨拶を交わしました。
 椅子に付くとここまで来た安堵でほっとした一人一人の笑顔が心を和らげてくれます。それぞれ熱心に教育への思いを語り、子供達に託す未来と子供達への深い愛情が伝わってきます。僻地のこの村から一人でも多く広い世界へ飛び立つ様にとの願いは切実でした。私達二人は、そんな人々の願いに、この小学校が役立つことを、又これから子供達と共にある小学校がよりよく充実してゆく様に、長く友好が続く事を祈念しました。会が終わって、机の上の小学校の手書きの平面図を記念にと下さいました。
 昆明まで来て呉れたあの女の子が私達の襟元に赤い三角巾を結んでくれ、中国式の挙手の礼。こんな楽しい記念の交換もありましたが、帰りの時間がすぐ来ました。半ば促され階下へ。
 雨を避けて一階の廊下に集まっていた大勢の子供達、赤いスカーフを結び、一寸はにかんだポーズ、澄んだ眸がいきききとして美しい。どの子も可愛い小学生。一寸を声かけると皆一緒に返事して「オー」と反響する声。瑶族の衣裳でわざわざ出かけて下さったお母さん方に一礼して、小学校にいた時間は短いものでした。
 後で考えると、もっとゆっくり子供達やお母さん達と話をしたかった。村も歩いてみたかったなど悔いもありますが、金河村の紀念小学校は深く深く心に残りました。
 地図にも書かれない村「だから意義があり希望なんですよ」と赤丸先生。
 


今回金河村の紀念小学校を訪ねる旅に、雲南省切っての優秀な運転士 朱慶立さん、辛海さんの二人を選んで特別につけて下さったという省の配慮を後できき、とても感謝しています。特に雨期というこの時期に、あの小学校まで行くことが出来たのはとても幸運でした。素晴らしい事でした。小学校まで行きたいという私達の願いを、実現して下さった人々の思いが重り嬉しい事でした。でも最後の道は凄い所でした。その大変さをやり抜いて下さった人々の努力が胸にじーんと来ます。そしてその凄い所に人々の生活がある事を知った旅でもありました。
 この小学校のこれからを末永く見守ってゆこうと、私は子供達の笑顔を胸に学校を後にしました。出発して何分も走らないのに振り返ると村はもう雲の中でした。
 金平まで戻り県知事の張先生と皆さんと一緒に中食をとり、ここで金平の方々と名残を惜しんで別れました。親しくなった方々との別れは心淋しく、午後私達は再び个旧へ向かって帰路を急ぎました。
 昆明に帰ったのは翌八日午後でした。

     

写真は上から「雨にけむる金河村」・「雲南省副知事と」・「小学校へ向かう路」・「校長先生、生徒と」・「金平をあとに」